自分では「手術ができる人」だと信じていますが、こういう本はつい手に取ってしまうものの一つ。
果たして仕事ができる人とは?
まず前書きで「仕事」を定義している。
この本の中での「仕事」とは「自分以外の誰かのためにやること」だ。
(「自分のためにする」ことは「趣味」としている)
引用 “仕事ができるとは、「成果を出せる」(中略)「頼りになる」「安心して任せられる」「この人ならなんとかしてくれる」もっと言えば、「この人じゃないとダメだ」、そう思わせる人が僕(楠木氏)のいう「仕事のできる人」です。
この意味での仕事能力は、「あれができる・これができる」というスキルを越えています。それを創傷して、「センス」と呼んでいます。”
ここから、仕事におけるセンスとスキルの話が繰り広げられるのだが、一人の外科医として、センスという言葉には敏感に反応してしまう。
「自分には(脳外科医としての)センスがあるのだろうか?」と思うことは、さすがにもうないが、研修医のころはときどき考えていたし、外科医・医者にかぎらず、どこの業界でも、仕事を始めたばかりのころは、「自分に○○のセンスがあるんだろうか?」と思うのではないだろうか。
あるいは、「彼はセンスあるよね」といった、先輩・上司の言葉に、自分と比較されているような気がして、敏感に反応してしまうこともあるだろう。
一方のスキル。
”スキルは「説明可能な能力」なので、練習なりで鍛えることができる。”
例;ロジカルシンキングやプレゼンテーションの技術。
脳外科の手術でいえば、バイパス手術というか血管吻合(という作業)は、練習方法もいろいろあって、縫う練習をたくさんすれば、ほとんどの人は血管が繋がるようにはなるし、吻合の時間を短くすることもできる。
スキルは説明可能であり、そのため分析・分解して練習・学習が可能が技術ということ。
なので、仕事ができるようになりたい、と思ったときに、実際には、このスキルを高めることに情熱を注ぎがちだ。
僕も2,3年目のころは、(ほかにすることも無かったので) ひたすら顕微鏡での縫合練習を繰り返していた。しかし
”ではスキルを高めれば仕事ができるようなるのか?
もちろんできるようにはなるんですけど、それはその特定のスキルセットが対応した領域にはまったときに「できる」という話であって、必ずしも「仕事ができる」わけではない。仕事ができるというのは(中略)スキルの単純延長上には必ずしもない話だとおもうんですね。”
と、スキルだけではやっていけないみたいですが、「じゃあ、どうやったらセンスが身につくの?(身につくという表現が妥当かも疑問だけれど)という疑問が出てくる。
ただ、「こうすればセンスが身につきます」みたいなものは当然、ない。
(山口氏)”「一通りやってみて振り返ってみると「ああ、そういえばああいうことをやって、いろいろなことをやったから、いま自分のこういうセンスなりスタイルができているんだなぁ」ということが初めて分かる。”
つまり、どうやって「センスがある状態」になったかというのは、後からしか分からないし、正確なことは分からない。
自分に脳外科医としてのセンスがあるかどうかは自分では分からないが、「スタイル」ということであれば、確かにそう思うだ。
つまり、今まで一緒に働いてきた同僚や、若い医師たち、何千件かの手術、患者さんやそのご家族との対話などが、今の脳外科医としての自分のスタイルを形づくっていて、それが「今のところ」上手くいっているというのは間違いない。
そこを、一足飛びに「どうすれば(手術の)センスが身につきますか?」というのは無理そうだし、述べられているように”漠然としても事後性の克服が大切だという意識を持つ”ことが重要だろう。
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センス(と呼ばれるもの)は、スキルと違ってフィードバックがかからないため、どうやってフィードバックを得るかということが重要そうだ。
そこで二人は「修行」の効用を述べている。つまり、
「センスの錬成において、(修行は) 事後性の克服方法としてやっぱり割と強力なんですね」
はー、やっぱり修行なのか、と思う一方で
「センスというのはその人の一挙手一投足に現れている」
”学ぶ”とは”まねぶ”ことだが、師匠の行動様式、判断を学ぶには、その瞬間の、起こったことを「勉強する」だけでは不十分というのは確かにそうだ。
手術適応の判断、家族への説明の内容、説明の仕方、手術前のディスカッション、手術後の振り返りなど、一緒に仕事していないと分からないことは実際多い。
これも後方視的に見て、少なくとも現時点では、幸運な職業人生を歩めていると思っているが、誰と仕事をするかというのは本当に大事だなと思った。
(注) Limitation; 自分に都合のよい本を選んで読んでいる可能性 (選択バイアス)、確証バイアスがある可能性があります。
(文中意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である。)
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