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透析を止めた日

執筆者の写真: 木村 俊運 @ 日本赤十字社医療センター木村 俊運 @ 日本赤十字社医療センター

日経新聞に書評が出ていて興味を持ち、即買いした本ですが、25年3月の東洋経済でも書評が出ていました。


人工透析, 末期, 脳卒中, 腹膜透析
透析の末期はどのようなものか

われわれの身体は日々、食べたものからエネルギーや身体を維持するために必要な物資を取り込んで生きていますが、食べ物は必ずしも人間にとって都合よくできているわけではありません。

そのため、身体に必要・有用なものと一緒に、本来不要なものも取り込んでいます。加えて、自分の身体のなかで不要になった物質は、ゴミみたいなものなので、溜まっていけば健康を害することになります。


これらを排出して身体の状態を維持するために、主に肝臓と腎臓が老廃物の解毒と排出に働いています。肝臓も腎臓も、不摂生、病気、加齢などで傷んでいきます。

肝臓が機能しなくなると現状、肝移植しか選択肢がありません。一方、腎臓の場合は腎臓の場合は「人工透析」という代替手段があります。


太い血管に太い針を刺して、血液を体外で濾過したり、水分を取り除いたりする治療ですが、それを繰り返し行うために腕の動脈と静脈を繋いで(シャントを作り)静脈を太くし、血液の出し入れを行いやすくします。


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脳外科と腎不全がどう関係するかというと、(シャント手術を脳外科が行ったりする病院もあったようですが)人工透析の期間が長くなると全身の血管が傷んでくるため、脳梗塞や脳出血、つまり脳卒中を起こすことが増えてくるのです。

実際には、人工透析をされている方はたくさんいらっしゃるので、その一部が脳梗塞を起こされるのだと思います。


入院が必要な脳卒中の場合は、当然入院中も透析が必要になるため、透析に関わるスタッフへの連絡調整が必要になります。

そして急性期病院でのリハビリだけでは自宅に帰れない場合は、転院を調整することになりますが、透析患者さんに対応できるリハビリテーション病院は少ないのが実情です。


そのため、調整に時間がかかったり、ご自宅から近くにはそもそもそういう病院が無かったり、ということがしばしばあります。


そして、腎臓の機能が悪くなって人工透析が必要になる理由はいろいろありますが、数が多いのは糖尿病のコントロールが悪くて腎不全になるケースで、(きちんと血糖コントロールしていれば、この年齢で透析になることはなかったのでは?)という若干の陰性感情もあったりします。


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この本で、透析を行っていた著者の夫は、多発嚢胞腎という、当人にとっては避けようがない病気で末期腎不全・透析になった方ですが、ルポライターである著者が記録しており、透析を受けている方の実際の生活を伝えていて、非常に勉強になりました。


人工透析は血液を抜いて、老廃物・余計な水分を機械で除去し、身体に戻すという治療であり、聞くだけでも「不自然」な治療であり、身体の負担は大きそうです。(透析に関わる職種でないと、医者でもこの程度の理解にとどまるかもしれません(自分だけ?)。)


実際、透析の後はぐったりして調子が悪い、何もしたくないという方は多いのですが、

患者さんの体力が落ちてきてからの透析は非常に辛いらしく、その辺りのつらさが、克明に描写されていました。


透析患者さんが脳卒中を起こしてきた場合、意識も無く、回復の可能性が小さい場合には、透析を中止する判断がなされることもありますし、透析を継続しても脳卒中の影響で回復が難しい場合もあります。

一方、ある程度回復された場合には、上記のように透析可能な病院に転院していくわけですが、その後の状態を知る機会は、自分の場合はありませんでした。


いわゆるフレイルと呼ばれるような状態になっていると、透析中に血圧が下がったりして十分な除水ができなかったり、相当具合が悪くなる。

しかし、透析しないと尿毒症でこれも非常に苦しい。


多くの透析患者さんは、かなりつらい最期を経験していることが分かりました。


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それだけだと、救いの無い内容なのですが、著者は、そのような状態でも腹膜透析(PD)が最後までできるだけ苦しまない方法として選択肢になるとして、PDを、特に施設などと連携して積極的に行っているクリニックなどとともに紹介しています。


腹膜透析についても、恥ずかしながら「在宅でできる透析」「腹膜炎のリスクがある」という印象しか無かったのですが、自宅ででき、時間をかけて透析することで身体の負担を抑えることができる。体力の落ちた方でもなんとか透析できるというメリットが取り上げられていました。


なにより興味を引いたのは、在宅で本人、もしくは家族が手伝うことによって、透析という医療行為そのものに本人・家族が主体的に関わるようになる、という部分です。

つまり透析クリニックに行って、されるがままに透析して、帰ってくるという、ともすれば受け身な状態を、自分たちが関わることで、大袈裟に言えば、「人生の一部を取り戻す」ことになります。


僕が医学部生のころから、「インフォームドコンセントが大事」「パターナリズムは古い」みたいなことが言われていました。しかし実際には多くの人にとって、(透析に限りませんが) 自分の身体なのに「医療は面倒くさい」になっている。


自分や家族が前向きに関わることで、身体についての理解も深まるし、その効果は透析だけにとどまらないんじゃないでしょうか。


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この本、実はうちの病院も登場します。

内容を読んでいると、「看護師は良い人がいて良かったね、それに比べて医者は…」と思う記載でした。そこで当時からいる医師に尋ねたところ、やはり覚えていて「事実じゃ無いことがいろいろ書いてある本でしょ。」ということでした。


実際のところはどうか分かりませんが、身近な尊敬する先生でもあり、また医療系ルポルタージュでしばしばあることかなと思っています。


PDにもデメリットや限界も当然あるはずだし、一つの視点として読むには良い内容だと感じました。


(文中意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である。)

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